ー 時を刻み明日を告げる ー

からくり時計塔 からくりギャラリー 石田正治教諭のページ

 本校創立50周年記念事業のモニュメントとして、1993年秋に完成したからくり時計塔。
 地域社会に親しまれ、期待される工業高校として、テーマを地域の伝統文化に求めた結果、豊橋の四季折々の行事の中から、代表的な三大祭りの1つである重要無形文化財に指定されている安久美神戸神明社の鬼祭(おにまつり)と、もう1つは夏の祇園祭(手筒花火)の2つが選定され、からくりのテーマとなっている。

 そして、からくり人形は、日本唯一の尾陽木偶師(びようでくし)の八代目玉庄兵衛氏と玉屋庄次郎氏(現九代目玉屋庄兵衛)の制作。設計・デザインは本校・定時制の機械科教諭石田正治氏。機構部と正面パネルは全日制機械科職員・生徒達が担当してできあがった。全国50数カ所の地で、いまも伝えられるからくり人形の伝統の技と、現代の技の合作で日々、テーマを演じている。

現在のからくり時計塔

- からくり時計基本設計 -

時計塔の高さは8メートル。四方から見ることができる文字盤の正面と背面には、普通の時計文字盤、向かって左側は和時計、右面には時計ではなく風向風速計となっている。

月曜日から金曜日の定刻(12:30と17:30の2回)に校歌が流れ、鐘の音とともに扉が開き、笛太鼓と鈴の雅楽のような神秘的なメロディーが鳴り響き、青鬼が登場する。その後、場所を赤鬼に譲り、天狗が登場、赤鬼と天狗のからかいの後、天狗は氏子に変身する。背景の打ち上げ花火音とともに花火筒が現れ、手筒花火の演出で終演となる。

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正面パネル(縦1.8メートル、横2.4メートル)のステンレス盤に約2500個のピンが埋められ、トリックの鬼の絵が描かれている。

 

- からくり(機巧)の歴史 -

 寛政二年(1662年)に、竹田近江の一座が大阪で旗揚げしたのが始まりのようである。文字を書く人形とか、水芸をする人形など、精巧で奇抜な仕掛けで大評判を博した。それをきっけに、さまざまな土地の祭りに舞台を移し、「山車からくり」へと発展していった。

 ここ尾張地方には、全国の山車(約180台)のうち、130台以上、人形も四百数十体が存在し東三河では田原市に山車からくりが3台ある。からくりがこの地で発展した理由の1つに、朝鮮国の修理したことから徳川家康のお抱え時計士となった津田助左衛門があげられる。彼は後世尾張に住み込んで、尾張の職人達に時計の技術を教え込み、その知識と技術が基盤となり、新しいからくりを生み出していったと言われている。

 もう1つは、尾張七代藩主徳川宗春が、祭りをこよなく愛し奨励したことが、山車の発展につながったとも言われている。


赤鬼


青鬼


天狗


演目の様子(動画が見たい方は コチラへ )

 

- 八代目玉屋庄兵衛について -

1950年 東春日井群城下町に生まれる
1980年 名古屋青年会議所より「青少年まつり文化大賞」受賞
1985年 つくば博「歴史館・三番そう人形」制作
1988年 八代目を正式に継ぐ
1988年 瀬戸大橋博「ヤマキ館・からくり人形時計塔」制作
1993年 本校「からくり時計塔」制作


演目の様子(動画)やその他からくり時計について

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本校のからくり時計塔の設計・デザインを行った本校職員

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